大須商店街

Kiyosugoshi清洲越し

慶長15(1610)年の名古屋城築城開始に伴って、慶長17(1612)年頃から当時の尾張地域の中心であった清須から名古屋へ都市機能の移転が行われました。これによって「名古屋」という街は誕生しました。

「大須」という地名は「大須観音」に由来します。慶長17(1612)年、清須越しの一環として、大須観音は、所有していた貴重な書籍を守るため、水害の多い地域であった岐阜羽島から現在地へ移転。これにより大須観音界隈は「大須」と呼ばれるようになりました。

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Osu Kannon Temple大須観音

大須観音

真言宗智山派の別格本山で、開山は能信上人。ご本尊は弘法大師作聖観世音菩薩。寺号は北野山真福寺宝生院といいますが、大須観音と呼ばれ広く親しまれています。

大須観音は、元亨4年、北野天満宮の別当寺として現在の岐阜県羽島市桑原町大須付近に創建されました。名古屋城築城の際に、犬山城主・成瀬正茂によって現在の場所に移転され、名古屋城下・西の寺町として大須周辺が栄えました。

明治25年の大須の大火、第二次世界大戦の空襲によって二度焼失しましたが、昭和45年に再建されました。

大須観音は、国宝の『古事記』の最古写本「真福寺本古事記」をはじめ、貴重な古典籍を多数所蔵しており、「真福寺文庫」(大須文庫)と呼ばれ、仁和寺、根来寺の文庫と合わせて本朝三文庫とも称されています。これら古典籍を水害から守るため、家康が名古屋への大須観音の移転を決めた、と言われています。

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Bansho-ji万松寺

万松寺 万松寺

天文9年、織田家の菩提寺として開かれた曹洞宗の寺院。織田信秀が開基、山号は「亀岳林」、ご本尊は十一面観世音菩薩。もともとは信秀の叔父・大雲永瑞和尚を開山として、名古屋城の南側に建てられ、当時は現在の中区錦・丸の内2丁目~3丁目付近の広大な土地を領有していました。

名古屋城築城の際、現在の場所へ移転。尾張徳川家朱印寺として人々の信仰も篤いお寺でしたが、幕末ごろから徐々に衰退してしまいました。当時の住職・大円覚典和尚は、大正元年、領有する付近の山林の大部分(現在の大須3丁目付近)を開放し、万松寺は再びにぎわいを取り戻しました。
昭和20年3月12日、名古屋大空襲によって焼失しましたが、戦後の復興期に、稲荷殿・不動殿寺を新築。本堂は平成6年に再建、平成21年には最新技術を導入した納骨堂も完成し、ハイテクな寺として注目を集めています。

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Kitano Shrine北野神社

北野神社 北野神社

「大須」の地名は大須観音に由来しますが、大須観音はもともと北野神社の一部の神宮寺でした。1324年に後醍醐天皇の勅命で岐阜県の大須に北野天満宮を建立。清須越しの際に大須観音とともに現在地に移転しました。

祭神は菅原道真。境内には臥した牛の像があるが、道真が牛を大切にしたことから天満宮の使いとされ、天神信仰のなかで大切にされています。

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Yoshu-in陽秀院

陽秀院 陽秀院

別名・大須秋葉殿。寛永初年から現在地にあり、天保のころから民間信仰が盛んになったといわれています。
紙張地蔵は「おからだに紙をはってお願いするとなにごとも、人間の苦しみをかばって、お聞き下さる地蔵さま」。二枚10円で販売されている白い紙に柄杓で水をかけて貼り付けます。自分の身体の悪いところと同じあたりに貼ると利益があるとされています。

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Kasuga Shrine春日神社

春日神社

天暦2(947)年、奈良から4柱大神の分霊を勧請して建立。名古屋市内では珍しい、奈良県の春日大社を総本社としている神社です。

かつて境内には病気平癒にご利益があるとされたシイノキがありましたが、戦災により社殿とともに消失。昭和34年に社殿が再建されました。

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Fujisengen-shrein富士浅間神社

富士浅間神社 富士浅間神社

明応4(1495)年、後土御門天皇の命により、富士山本宮浅間神社から分霊を勧請し、創建されました。現在の社殿は、初代尾張藩主・徳川義直公の内室・高原院によって建てられました。

もともとは、尾張三名水として名高い柳下水を有する清寿院と「神仏習合」の状態にありましたが、明治の廃仏毀釈により清寿院は廃寺となり、現在は富士浅間神社とまねき稲荷が参拝できます。

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Soken-ji総見寺

総見寺

織田信長の次男・信雄が父の菩提を弔うために、伊勢国大島村の安國寺を清須に移転して、総見寺と名を改めました。清須越しの際に大須の現在地へ移転。

信長の墓があり、毎年6月2日には信長の命日の法要が行われています。寺宝の信長・信雄肖像画、遺品など9点が愛知県の文化財指定を受けています。

「大須」という地名になる以前、門前町、裏門前町と呼ばれた時代がありましたが、この「門」は総見寺の門のことをさしています。

※常時拝観は行っていません。

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Daiko-in大光院

大光院 大光院

慶長初年、清須に建立。清須越しの際に大須に移転。赤門通は大光院の朱塗りの山門から命名されています。享保の火災、戦災で創建当時の山門は失われましたが、昭和41年に再建されました。

明王殿のご本尊・烏瑟沙摩明王は、世の中一切のけがれや悪を清める力を持つといわれる仏様です。下半身の病気にご利益があるとされ、特に女性特有の病気を治すといわれていることから、大須に遊郭があった当時は、そこに身を置く女性たちから篤い信仰を受けたそうです。

“みょうおんさん”の愛称で親しまれ、毎月28日の縁日には多くの人々で賑わいます。

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Amida-ji阿弥陀寺

阿弥陀寺 阿弥陀寺

天文年間(1532-1554)創建。
浄土宗知恩院の末寺で、清須越しの際に大須に移転。大須界隈の神社仏閣の境内に出ていたさまざまな興業についての記録、小寺玉晃著『見世物雑志』をもとに、江戸時代に落語や講談が盛んに行われたことを記念して、昭和43年12月、話芸愛好家、名芸互助会、落語協会、日本芸術協会(現・落語芸術協会)、上方落語協会によって、『咄塚』が建立されました。
毎年12月には名古屋来演物故噺家追悼会、奉納東西落語会が行われています。

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Miwa Shrein三輪神社

三輪神社 三輪神社

創建は元亀年間(1570年〜1572年)で、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)から勧請したという神社。
中央の左右に脇鳥居がある「三輪鳥居」または「三ツ鳥居」という珍しい鳥居があり、八の字に通れば、ご利益は3倍と言われています。
祭神は大物主大神(大国主大神と一体)で、大国主は神話「因幡の白うさぎ」で有名なため、このお話に因み、拝殿前には「幸せのなでうさぎ」像が置かれ、このうさぎを撫でることで運気が上がるとされています。
毎月8日には大黒講祭が開催されます。

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Nanatsu-dera七寺

七寺 七寺

天平7年、尾張国中島郡萱津(現・愛知県海部郡甚目寺町)に行基によって創建。正式名は稲園山正覚院長福寺。清須越しの際に現在地に移転されました。

戦災により、経蔵一棟を残し焼失。かろうじて難を逃れた観音・勢至の2像と唐枢入一切経は国の重要文化財に指定されています。境内にある大日如来像は、傷を負ったままの状態で残され、今も戦火の凄まじさを物語っています。

毎年11月の酉の日に大須酉の市が開かれ、縁起物の熊手を買い求める人々で賑わいます。古くなった熊手やお守りに感謝する「お焚き上げ」も行われ、福を願う人々で毎年にぎわっています。

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OSU church大須教会

大須教会

カリヨンの音とヒノキの香る大須教会は、1953年から大須商店街とともに歩んできました!商店街アーケードの中にあるキリスト教会は、全国でもここだけです!
カリヨンは、11~18時の毎正時、有名な賛美歌や季節ごとに違った曲も流れます。鐘の音が作り出すメロディーを、是非聴きに来てください!

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