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Oda Nobunaga & Bansyo-ji織田信長と万松寺

信長、父の位牌に抹香を投げつける
万松寺は信長をはじめとした多くの武将と関わる歴史的な事件の現場となった場所として有名です。 織田信長が父・信秀の葬儀の際に抹香を位牌に投げつけたという、信長の性分を示す行動ののひとつとして 有名な事件は、大須に移る以前の万松寺において起きた事件です。

信長は当時18歳。 それまでにも奇怪な行動が多く「うつけもの」と呼ばれていましたが、 この事件によってさらにうわさが広まったといいます。
また、徳川家康は幼少期に人質として万松寺の信秀に引き渡された時期があり、 このころに信長と会ったことがあるとされています。

織田信秀の墓所は、現在も万松寺にあります。

織田信長と万松寺 織田信長と万松寺

信長の命を救った「身代わり餅」
元亀元年5月、信長が越前朝倉を攻略した帰路に、鉄砲の名手・杉谷善住坊にねらいうちされましたが、 懐に入れていた万松寺和尚からもらった兵糧の干餅に当たったため難を逃れたという逸話があります。
さらに、この話を聞いた加藤清正が「身代わり不動」という名をつけたと言われています。
当時、万松寺門前の茶屋で売られていた餅を「身代わり餅」と呼び、参拝客は厄除けのために賞味したといわれます。
現在、茶屋はありませんが、毎月28日に境内で餅がつかれて参拝客にふるまわれています。

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Tokugawa Ieyasu & Osu徳川家康と大須

徳川家康は幼少、竹千代の頃、人質として万松寺で織田信秀公の保護のもとで暮らしたことがあります。
関ヶ原の戦いを制し江戸幕府開府後、中区丸の内にあった万松寺を現在の場所へ移転。
その後も美濃国中島郡大須庄(現 岐阜県羽島市)から北野山真福寺宝生院(大須観音)を大須に移しました。
徳川家康と大須は何かしら因縁深いものがあります。

徳川家康と大須 徳川家康と大須

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